(聞き手)
今回の震災の経験から、後世に伝えたい事や教訓はございますか。
(柴田様)
自分のための物は自分で用意しておこうと、常に周囲の
職員に言っています。職場にいて地震が起きて、すぐに避難所に向かわないといけない場合は職場に備え付けておかないといけません。夜中で自宅にいても、そこからすぐに避難所に行かなければいけないのであれば自宅に備えておかないといけません。市民の方にも広報を通じて、
食糧は3日から1週間分を用意しましょうと呼び掛けています。
職員も当面の自分の
食糧を用意しておくべきです。東日本大震災以前は、水害や台風の対応などで出勤してきた
職員に対して夕飯を支給していたのですが、これからは自分で確保しないといけないという事で、支給を止めました。自分で用意しておこうという教訓にしたいからです。
教訓としては、
訓練の大切さです。新聞報道などでもありましたが、
訓練をしていた介護施設などは被害が無かったそうです。どうしてそんなに
訓練ばかりしているのかと笑われた事もあったといいますが、結果的にそれが役に立っていたのです。災害部門に異動した、交友のある他の自治体
職員ともやはり
訓練は大切だと話していました。
(聞き手)
個人用の
備蓄はどのような物を用意されているのですか。
(柴田様)
カロリーメイトや、お湯が使えるかはわかりませんが、カップラーメンなどを自分のロッカーに用意してあります。量はだいたい3日分くらいです。1日1食食べられるならいい、という程度の物です。
特に組織として斡旋している訳ではなく、個人の取り組みで、皆なでやろうと言っている最中です。ただ、大規模な地震があった場合などは持ち出しも難しいと思いますし、そこで自分だけ持ってきたとしても、食べづらいところはあります。しかし、仕事をするためにはパワーを付けないといけませんし、そのために食べなくてはいけませんから、ここが課題だと思っています。
(聞き手)
ここで寝泊りしていた方もいたと思いますが、毛布などを個人で
備蓄しておくような事はしていますか。
(柴田様)
していません。ですが今回の教訓から、寝袋をロッカーに入れている
職員も見かけられるようになりました。私もその一人です。避難者の方と同じ毛布を使うのも問題になりかねません。
(聞き手)
その他、今後の備えとして大切な事はありますか。
(柴田様)
支援を受ける力を高めるために、日頃の関係性が大切だと感じています。阪神淡路大震災や中越地震の時も、多賀城から
職員を短期派遣した事はありましたが、継続的な
支援をした事はありませんでした。今は、
支援を頂いた自治体は親戚のようなものだと思っているので、「あそこの自治体の方が困っているなら行かないと」と思える相手が沢山出来ました。
(聞き手)
友好都市に対しての人材交流は行われていますか。
(柴田様)
太宰府市へ、交流とまではいきませんでしたが、3人の
職員を2週間ほど行かせて、先進的な事例を勉強してくるという試みを、震災前に行いました。それが第一号で、他の都市とも行えたらいいと話しています。やはり、日頃の付き合いが大事なのです。
また、仙台都市圏では館懇談会という会をつくった自治体と防災
協定を結んでいます。沿岸部の自治体はほとんどが被災したので、あまり意味は無いのではないかと言う人もいるかもしれません。ですが実は、
協定に基づいて、富谷町が町内のパン工場さんから賞味期限切れ間際のパンを分けてもらって、届けてくれた事があるのです。民間との
協定に関しても、今までは配送センターなどはどこの自治体や企業でも1か所に集中させていたと思いますが、
食糧工場を内陸に移転させるという事が考えられるので、
協定に基づく
支援はよりスムーズに行えると思います。当時は店舗にあるものを、店長さんの判断で頂いたり、中には、請求はいいから持っていってくれと仰ってくださった所もあったりしました。大型店で最初に
支援してくださったのはイオンさんで、仙台市内の被災していない所に
支援本部を立ち上げて、FAXも電話も使えない中、毎日来てくださいました。そこでおにぎりを2万個、カロリーメイトを1万個というふうに紙に書いてお渡しして、それをイオンさんが手配して、中部地方や名古屋などで作った
食糧を、あらゆるルートを使って持ってきてくれました。後でまとめて支払う事になっていましたが、実は最終的に、それらは全てイオンさんが負担してくださいました。本当にありがたく思いました。